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千葉の山中に行った。

一人用のテントとシュラフ、

ランタンとストーブ、

小さな椅子、スケッチブック、カメラ、巻尺、風速計、

絵の具、筆、パン、水、携帯用のトイレetc

一式をえいやっと背負って山の中へ一泊してきた。


その昔、

大学1年の初めての設計課題。

伊豆の田牛の浜辺でキャンプを張った。

その浜辺に何かを設計するという課題だった。

フォールディングカヌーを持っていった。

野田知佑にあこがれていたのだ。


その浜には、人口の岩穴があった。

その岩穴を拡張していく蟻の巣のような洞穴住居を設計した。

課題中、温和な先生がなぜか怒っていたように思えた。


その後、

大学の卒業制作で、川の中州をテーマに選んだ。

川の水位が上がると、島が水没し、それぞれの建物が、

水上生活用に変化するというちょっとファンタジーな計画。

その先生が、笑っていたように見えた。


そのとき、1年の課題のとき、先生が怒っていた理由が分かった。

僕は、カヌーを漕いで海がら陸を見ることができた。

他の人にない視点でものを見ることができていたはずなのに、

結果洞穴を掘っていた。という全くピントの外れたものだった。

ということを4年がかりで気がついたわけだ。

その後就職して、何度か先生にいろいろ話したいことがあって

会いに大学に行ったがいつも留守だった。


2年前たまたま海辺砂浜に別荘の計画があった。

場所の魅力に誘われて、

テントと自転車とスケッチブックを担いでキャンプをした。

1年生の課題をもう一度やることにしたわけだ。

結果は仕事にはつながらなかったけれど、

とてもいい経験だった。

このことについては、また後日書きたいと思う。


キャンプの最終日がちょうど展覧会(目白の吉村順三ギャラリー)で先生が会場にいる日だった。

帰り道に荷物を背負ったまま、会場に行って先生に会うことができた。

僕は一方的にいろいろ話したが、先生はただうんうんと聞いているだけだった。

そういえば、学生のときも、自分の話をする人ではなかった。

最後に僕が1年の課題を今やり直しているといったら、それはすばらしいといってくれた。

1年生の授業はとても大事なんだと。


とにかく言うだけ言ってすっきりした。

現地で考える、感じる、手を動かす、足を使う、リアルに対象に向き合う。

そういうことを今頃になって理解したのだ。


もっとちゃんと教えてくれたらいいのにと今なら思うが、きっと20歳やそこらでは、

うるせージジイだな、ぐらいにしか思わないんだろうな。

自分で気がつかなければどうしようもないのだ。


それ以来、機会あればキャンプをして考えて設計するということを

ライフワークにしようと思っているのだ。


で今回の千葉の森。

帰りに大雨が降り、アマガエルが道路にどんどん飛び出してくる

それを傘ですくって山に返す。

なかなか駅には着かないし、雨にもぬれる、雨なんかどうでもいいや、

とぬれてしまえと思えば、楽しいアマガエルゲームである。

蜘蛛の糸みたいに後々助けてもらえるかもしれないし。


その先生は益子義弘先生。

今年で卒業して14年。

この歳でやっと、1年生の時に教わったことが分かったのだ。



ところで、

今の1年はなにやってんのかな。

100枚スケッチはなくなったて聞いたけど。

スケッチの話も今度書くことにする。

スケッチとキャンプこれが一番大事なこと。


なんとも長いはなしになった。今日のブログも。

















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