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みえるもの・みえないもの
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今パソコンを見ていたら、文化人類学者西江雅之先生がなくなったというニュースが
ありました。最初に見たのは、高校生のとき、NHKテレビで長髪のパーカッショニストと2人で植物の種の入っていた縄文土器は、実を保管する容器ではなくて、楽器だった。というドキュメントでした。
アフリカの太鼓の中には命を宿すため?に植物の実を入れる。とか、西江先生は、アフリカの太鼓の言葉がわかるとか、なんだこの人は!!と高校生ながら良くわからないけれどすごい人がいるなあとおもっていました。
その後大学に入り、授業を選択するときに先生が教えていることをしってびっくりしました。
先生は本当は大学院ぐらいで受けるといいのだけれど言っていましたが、1年生の一年間毎週楽しく授業を受けました。書くと永遠に尾わらなそうなので簡単にまとめると、およそ天才とはこういう人なのだなあと、思いました。先生:人間はなぜ服を着るのか?生徒:寒いから。先生:南米の南極に一番近いところに
最近まで裸族がいたんだよ、だから寒いから服を着るのではなく、・・・・・・本当の裸族というのはいない、
みんな刺青や飾りを・・・・・・裸俗の子供は服を着るようになるのが早いがお年よりはなかなか着ない。特に絶対ズボンだけはきたくない(笑)こんな感じで毎回、常識をひっくり返すような内容でした。
授業が終わると、いつも学食で生徒と話をしていました。
世界中のあらゆる言語を理解し、ほとんど風呂に入らなくても臭くならない体をもち!床に寝て、趣味はつめを噛むことといって見せてくれた指には爪の痕跡しかなかった!!
当時いろいろ話したいことがあったのですが、当時は今でも?おつむがわるくたいしたことを聞くことしかできませんでいた。もう24年前の話です。
卒業してからも、古本屋で先生の本を見つけると買って読んだりしていたけれど、活字にすると
きれいになりすぎて、やはり動いて話している実物の方が、いいなあと思っていました。

沖縄の与那国に行ったときに良い雰囲気のカレーやさん?だったかに、
先生のメッセージを見つけたの宝探しのようなもいい思い出です。
やはり先生は旅のひとなのです。
この世に納まらすあの世に旅立たれたたのだと思います。ご冥福お祈り申し上げます。

ついでに、
なんとなく高校時代のおよそ先生らしくない物理の先生にちょっと似てるのです。
この先生も変わっていて、暗記がすごくて参考書を全部暗記して大学に入り、
就職先の上司の誘いが断れなくて体を壊し、
トランペットで音楽大学に行こうとしてドイツに行って気が変わって医学部に受かり、
なぜか県立高校の先生になり、夏休みにドイツの大学から誘われてアフリカに最古の人類を探しにいって槍を突きつけられたり、
マラリアでしょっちゅう学校休んだり、授業は大体みんなの希望で冒険の話ばかり、
手相の本も暗記しているので、放課後は女子が手相を見てもらったり6,7カ国ぐらいの言葉ができたり、
物理の先生としては、いまいちだと思うけれど、
若者が刺激を受ける先生というのはこういう人なのだと思います。

久しぶりに文書をかいて、いろいろ思い出してとても長くなりました。
これでも半分ぐらい削りました。
なぜかわかりませんが、がんばらないとと思いました。
しかもなみだもろい。年か、パソコンの見すぎか?



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そして祭り前日の深夜。

取り付けが始まりました。

シュミレーションを何度も繰り返してイメージしましたが、

やってみないとわかりません。

ここでも地元のボランティアさん達が大活躍です。

一番高いところにいる、赤いTシャツが私でしょうか?

間違えが多くなります。

返って迷惑だったりして。

本当はもう若くない、最近夜になると目が見えないのです。

光もやたらまぶしく、この後眼科に行ったら、老眼でした。

老眼鏡を買ってパソコンの画面やら本を見たら楽です。

気持ちの上では10歳若いつもりだったのですが、、、複雑。

話がそれましたが、とにかくみんながんばっています。

結局朝までかかりました。




飾り作りもだんだん佳境に入りました。

ボランティアの常連さんたちが大活躍です。


ボランティアの鳶さんたちが立派なやぐらを組んでくれました。


大体、龍の絵が出来たところです。

一番大きいところでたて6m、よこ3.6m位です。

ここまで大きな絵を描くのは、初めてでしたが、

気持ちよいです。

普段小さなスケッチブックやらパソコンでCADなどをして

いるからでしょうか。

絵は、手先で描くのではなく体全体で描くものですね。


平塚七夕まつりに参加しました。

依頼主は、花水ラオシャン本店。www.shonanhibees.net/hanamizuraoshiang.html

ラオシャンの常連のニコカフェさんとの共同作業。blog.livedoor.jp/nicoshop/

他にも、お店の常連さんがボランティアで協力してくれました。

お祭りは7/1~4までで既に終わってしまいましたが、

記録としてアップしました。

写真は大きな龍の絵を描いて、最後にお店の看板をかいています。

自宅件事務所の我が家から菊名に歩いて行く途中、

いつもと違う小さな路地から行ってみる。

みかんが転がってきた。

立派な「はっさく?」が転がっている。

誰もいないけど誰かが落としたのかと見回すと、

パン屋さんの看板があって横の小道に階段がずーと続いていてる。

階段を登りきるととても立派なみかんも木が一本あった。

その木から落ちて運良く潰れずに階段を転げたものだった。


パン屋は店舗というよりは民家を少し手を加えてそのまま利用したもの。

おいしそうな黒丸パンを買う。

棚の一角に雑誌の「球体」が置いてある。

他にお店もない住宅地の路地の奥の奥にあるパン屋。さらに球体。

なんとマニアックなパン屋である。

少し話をしたが、道に落ちてたみかんを一個拾った。

少しあるくと知り合いの消防団のおじさんに会う。

なんか不思議な散歩であった。

三角というパン屋さんです。↓
www014.upp.so-net.ne.jp/skaku/info.htm















フランク・マコートさん死去

「アンジェラの灰」の著者↓

http://www.asmik-ace.com/Angela/FrankMcCourt.html

ひょんなことから出会った本で、そんなに有名な本とも知らずに読んだら

面白かった。

アイルランドで子供時代を送り、やがてアメリカに渡る自伝小説。

他人の貧しい話は、面白い?

貧しくても明るくたくましければ生きていけるのだ。

フランク・マコート78歳死去といれても、僕の中では永遠のマコート少年ままである。

ご冥福をお祈りします。(冥福って仏教?)

どうしてこの本にたどり着いたかは

前に書いたのでリンク載せておきます。

「アンジェラ共和国」↓

http://osamurai01.blog.shinobi.jp/Entry/50/


といくことで、

思いつきの気分転換に、庭の笹を切って、

学生の時に買った色紙を切って、

墨でいろいろお願い事を書いてと

いろいろありあわせのものを利用して、

今年は初めて七夕らしくしてみました。

写真は札が全部うらむきになってしまいました。


何年ぶりだろう。

電車の網棚に荷物を忘れた。

A1サイズの大きい紙だったからなあ。

あれほど網棚には乗せないと決めていたのに

混んでいることを理由に乗せてしまった。

昔から忘れ物が多いほうだった。

特に電車で自分にとってとても大事なものをなくしてから

考えた。


電車物忘れ防止3カ条

①荷物は1つにまとめる。かばんが2つあっても、一緒に持つ。

②絶対手から離さない。

③網棚には乗せない。


最近あまり混んだ電車に乗っていなかったので

自分の愚かな本性を忘れていた。

しかし混んでいる時に紙などの大きい荷物はどうするか。

網棚にのせて紐でつないでおくのかな。

④ただし紐で体の一部に結び付けた場合はこの限りでは無い。
 
わすれものの多い方は参考にしてください。

重い荷物の場合はどうするか。という質問にたいしては、

根性で耐えるとお答えしておきます。




僕の尊敬する人物に西江雅之という人がいる。

高校生のときふと見たTV番組で

思わず見入ってしまってそれ以来のファンだ。

職業は一応文化人類学者である。

一応と書いたのは、世界中の言語を操り、もちろんアフリカの

(ドラムの奏でる言葉も)何理解できる。

日本で始めてのスワヒリ語の辞書を作ったり。

タモリのハナモゲラ語(いんちき外国語風なしゃべり)も説明できる。

スポーツ刈の言語学者でもある。

昔は、体操選手で本当にサルになりたかったらしい。

まったくの偶然で、入った大学で講座があったのを見つけたときは、

本当にびっくりした。

僕の授業は大学院の人が聞く内容だと言っていたが。

当然僕は、1年生のときに聞いた。

内容はこんな感じ。

人間はなぜ服を着ているのか?

寒いからではない。

今世紀になるまでアルゼンチンのパタゴニア(南極に近い)

で裸で暮らしている人々がいた。

だから、もともとは、寒くても大丈夫なように体は出来ている。

また、アフリカのある裸族といわれる人たちが、はじめ服を着るのを

特に大人は、恥ずかしがった。上は着れても下は恥ずかしくはけない。

本当の裸族というものは居ない。

体に刺青をしたり、何かしらの施しをしている。

社会的な身分やら立場を身にまとっている。

つまりそれが文化というわけ。

食べ物とはなにか?

なぜ、そこらの草を食べないのか。

それは食べ物と思っていないだけで実は食べられる。

なぜ、インドでは牛を食べないのか。

それは、食べ物では無いからである。

食べられるものと食べ物は違う。

食べられるものをみんなが食べれば、食料危機は存在しない。

覚せい剤を打つとどうなるか。

信仰深い人の目の前にマリア様が見えるのはなぜか。

などなど、チョット思い出しただけでもきりが無い。

僕の文章では、殆ど伝えきれない。

先生曰く人間には嗜好品が必要で、

僕の場合はと言って見せてくれた。

指の爪は、食ってしまって殆ど無い。

本物の天才だとおもう。


4年ぐらい前、沖縄の与那国島にあるカレーやさんの図書コーナーに

偶然先生のサイン本を見つけた。

なんだかそういうのはとてもうれしい。


僕の考えていることなんては、恐らくこの人の

爪の先ほども無いと思う。

つまりぜんぜんだめなのね。




都市にはそれぞれ独特のにおいがあるという。

僕がすぐに思い浮かぶのは、

バンコクやメキシコ空港に着いたときに独特な匂いがした。

で、今日は、久しぶりに六本木に行った。

地下鉄の駅に着いてドアが開いた瞬間、

わっ六本木くさい。と思った。

よくよく嗅いで考える。

香水の匂いだと思う。

なるほどととても納得した。

外に出ても、ずーと微妙に変わりながら

においがした。

強いビル風でも消えなかった。

恐るべし外人パワーだと思ったのでした。









虫には融通の利かないところがある。

わざわざ火の中に飛び込む虫とか、

必ず天辺まで上るてんとう虫などなど。

しかしこれは、僕ら人間の世界ではどうだろうか。

毎日せっせとゴミを自分の家に積み上げるおじさん。

ゴミ集目積上家累積虫(ゴミアツメモクルイセキカリウセキチュウ)

毎日絶対に家の前を箒できれいに掃除するおばあさん。

(月火水目掃取家掃取虫)(ゲツカアスイモクハキトリカハキトリムシ)

社会的に良いことでも悪いことでも本人でもわからない行動は

色々とあると思う。

人間は進化の頂点にいるように見えるが、太古の生物にひたすら上書きをし続けて

いるのだからる虫の特徴を受け継いでいたって不思議ではないと思う。

例えば戦争の最前線なんて、まるで火の中に飛び込む、

そのものじゃないかと思う。

とても普通の人間のなせる業ではない。



こういう話を面白いと聞いてくれる人っているのかな。

やっぱり変な人だなあということになってしまうのだろうか。

でもこれで説明のつく動作というのは、色々あると思うね。







ゴールデンウィークおわった。


4月に出来なかった仕事を全部終わらせる予定だったが、

終わらなかった。

この期間に、カメがウサギを追い越すはずだった。

そういえば、ギリシャ哲学で、ゼノンのパラドックスというのがあった。

こんなこと考えるなんてギリシャ人は暇だな。

だから、追いつけなかったのか。なるほどね。無念。

関係ないか。やっぱり自分のせいか。

しかし、朝までには1つ終わらせる。

だんだん調子が乗ってきた。

夜型は卒業したはずなのだけど。

早朝鳥が鳴きはじめる。

ああゆう早朝型の生き物にあこがれる。





数年前の話。

アフリカ大陸の北西、大西洋に浮ぶカナリヤ諸島の西がわに

アンジェラなんとか共和国という国がある。

そこで僕は、広い平原をバスに乗っていた。

草原の向こうに山並みが見えて、所々にこじゃれたホテルが見える。

観光が主な産業らしい。

夏になるとヨーロッパから沢山の人がバケーションに訪れるらしい。

白人の男女のグループと片言の英語で話をしていて、

誰かが、ここはアンジェラなんとか共和国だといった。

何とかの部分は忘れた。

突然世界地図が出て来て、ズームアップして現在地を示した。


で、そこで起きた。つまり夢の話。

なんだか、ありそうな国だったので、

すぐにインターネットで探してみた。

結果は、なかったのだ。まあそりゃそうだ。

で、変わりに「アンジェラの灰」という小説を見つけた。

近くの図書館の分館に取り寄せて読んだ。

大戦前の北アイルランドに住んでいた少年の話。

とても貧乏で、お父さんは、飲んだくれ、お母さんが教会

の施しでなんとか生活をしている。

色々あって大きくなって、アメリカに行く話。

著者の青春自伝小説。結構読み応えがある。

北アイルランドのことなんて、ゴルゴ13で読んで、

IRAとかの名前ぐらいしか知らない。

アンジェラというのはお母さんの名前。

そのあと、アイルランドについて調べたりした。

アンジェラなんとか共和国はなかったけれど、

変わりにアイルランドのことを知ることが出来た。

だからというわけではないが、夢に出てきた事を、

そのままにせずにチョット調べてみると

結構おもしろい。

で、しばらく経ってから、もしかして本当は

国は無くても都市とか地名なんかは、あるんじゃないか

と思って一応検索したら、日本語でというところが甘いんだけど、

アンジェラアキという歌手の名前がいっぱい出てきた。

デビューしたのか、前からいたけど無名だったのか知らないけど、

夢を見たタイミングが違えば、今頃この人のCDなど買っていたかもしれない。

結局どういう歌を歌う人かはいまだに知らない。

ぼくにとってアンジェラといえば「アンジェラの灰」なのだ。


僕が、高校生だか、浪人生だかの時、

新宿のデパートで中川一政展を見た。

この人は画家。

それいらい僕は、いまでも尊敬している。

というのは、とても自由な絵だなと思ったからだ。

で、もひとつの理由は、文章がうまい。

芸術家で文章のうまい人は多い。

みんなが変人だと思っているひとでも、

文章はとてもうまいしわかりやすい。

例えば、有名なところで岡本太郎や横尾忠則の文章を読むと

とてもまともな文章だなと思う。

でも、当時は高校生だったので、今読んだらどうかわからない。

当たり前でつまらないやと思うかもしれない。

何でも、体制に反対すものにあこがれるのが若さなのかな。やはり。

で、それはそれとして、中川一政について

「芸術は、美しいかではなく生きているかが大事だ。」

確か、こういう内容のことが書いてあった。

で、今でもまったくその通りだなと思っている。

言葉面の問題ではなく、スピリッツの話だと思う。

いつものように面倒なので説明しない。


僕が、こうやってブログを更新するときは、

パソコンに向かって困っているときだと今気がついた。

わざわざ読んでくれている人には悪いがほんとただの独り言だ。

でも昔から考えていることだからそんなに自分では間違ってないと思う。


中川一政は僕が大学1年生の時に死んだ。

マリオという油絵科の友達が唯一知っていた。彼もファンで

そのことについて色々話したけど覚えてないや。

一つ覚えているのは、俳優の緒方拳がこの人の弟子になった。

で、絵と文章を一枚に描いて見せたところ

中川一政が渋い顔をしたので、「先生、この文章は無いほうが良かったですかね。」

といったら、「絵も無いほうがいい。」といわれた話。

これは、当時は、冗談としての面白エピソードだと思っていたけど、

そうではない。この場合、絵と文は2つで完成であって片方では成立しないのだ。

のび太とドラえもん。チョット違うけど、全体でバランスをとっているということだと思う。

ちなみにマリオというのはあだ名で日本人でサッカーがうまい。

だから中川一政は、知っていて損は無い芸術家だと思う。

わざわざ読んでくれた人も無駄ではないと思うことにした。

ついでに言うと、ピカソはそんなに自由にかって気ままに、

絵を描いていたのかというのは、疑問がある。

ピカソの絵を見るといつも縁の中をはみ出さないように

きれいに塗っているなと思う。

だから子供のように自由にではなく、もっといろいろなことを考えて

描いていたのだと思う。

さらについでに言うと新しい乃木坂の美術館のショップで

ピカソの小さな犬のスケッチを大きく伸ばしてカタカナで「ワンコ」と銘打って売っていた。

すごいギャラリー根性だと思った。

さらについでに(しつこいか)美術館の設計は黒川紀章なのだけど黒川紀章って

オノヨーコに似てると思う。

これでほんとに終わり。


たまたま、読んでいた本の中に、

荘子の引用があったので載せておきます。

古い大きな役立たずの木について

書いてありました。


大工の匠石(石の名工)が旅の途中、

社のそばにある櫟(クヌギ)の大木を見た。

匠石は、その櫟に感嘆している弟子に、「これは無用な木だ。

船をつくればすぐにくさってしまうだろうし、

道具をつくればこわれてしまうだろう。

この木では、何も有用なものがつくれない。

だから、こんな古木になったのだ」といった。

しかし、その夜、宿屋で眠りにつきかけると、

匠石の夢に櫟の古木が現れて言った。

「お前はどうして、私を、さんざし、梨、橘、りんごなど

実のなる木と比較したのだ。

それらは実が熟さないうちにさえ、

人間に攻め荒らされてしまう。

大枝は折られ、小枝は裂かれる。

自分たちの長所が自分自身に害をなしていて、

天寿を全うできない。

これはあらゆるところで生じることで、

このためにこそ私はまったく無用であろうと、

長年のあいだつとめてきたのだ。

愚かな人間よ、もし私が何らかの点で有用であれば、

これだけの大きさになり得たであろうか。

そのうえ、お前も私も自然の創造物に過ぎない。

たんなる創造物がいかにして、他の創造物より上に立って、

その価値判断を下せるのか。

お前、無用な人間よ、

お前が無用の木について何を知ることがあろうか。」

大工は目覚め、その夢について想いをこらした。

弟子が、どうしてこの木が社の保護につとめているのかと

彼にたずねたとき、彼は「だまれ、何も言うな。

その木はここに意図してはえているのだ。

もし他の場所であれば人間がよくは取り扱わなかっただろう。

もしそれが、社の木でなかったならば、

切り倒されていたかも知れない。」と言った。

(荘子「人間世篇第四」より)


クヌギってそんなに役に立たないか?日本では、里山の代表的な

木として役立ってきたじゃないか。とつっこみを入れたくなりますが、

そうそれは、ついこの間までの日本のお話。

このお話は、紀元前の中国のおはなし。

感想はいろいろあるが、あえて書かないのです。

書くとすれば、この本は、二束三文で売られるはずだった

祖父の蔵書の中の1冊。

これはあらゆるところで生じること。






縁が透明のカメムシ

名前は知らない。

写真にしたら光った。

これが僕のデジカメ技術の限界。

フラッシュはたいてない。

今日本は連休。

我が家は治外法権である。

この前夕飯を食いながら、思わず中学生日記なるドラマを見た。

理由は、テロップで中庭登校とあったので。ん、何だそりゃとおもって。

内容は、不登校の女子学生が、親に学校に行けといわれたので学校には来たが、

教室に入れとは言われていないので、校舎前の植木の下に一日座っている。

先生たちは、屁理屈いうなといってあきれている。病気でも無いので保健室に行く気も無い。

あの子をわかってあげたいと一人悩む関西人のお兄さん先生。

休み時間に、みんなにからかわれながらもずーと座っている。

そのうち、女子の3人組みが一緒に座らせてと頼んできたり、

クラスのいじめられっこの男子が教室を抜け出して相談にきたり。

彼から見ると、何かを悟っているように見えるらしい。

座っている本人の手のひらには「戦う」とマジックで書いてあって

本人なりにずいぶんとがんばっている。

よく出来ていたドラマと思う。

中庭の空間的性質や意味合いががうまく描かれていたと思う。

この中学生日記というドラマがどうつくられているのか知らないけど、

実話のベースがあるのかもしれない。

なんか、へんな設定のくせにリアリティがある。

中庭でなくて植え込みだし。

去年だかインドで少年が木のうろの中でなまず食わずで瞑想していた

というニュースがあったが、そういう感じがした。

僕が中学生の時は、学校に行かない選択肢なんて考えもつかなかった。

かといって勉強しに行くわけでもないし、一体何しにいってたのだろう。

ちょっと思い出したのでスケッチで描いておいた。

専門家として言わせてもらえば、

場と場をつなぐ中庭のような中間領域は・・・多様なアクティビティを誘発し・・・

などというつもりは無い。その場所を見つけた女学生が偉いのだ。


ところで、近所の公園で朝いつも大木に抱きついているご婦人がいる。

大きな木の下というのは、それだけで心強いのかもね。



えーと、昔撮った写真が出てきた。

タイムリーなのか、

今週はがけっぷちだ。


我が家には大量のカタツムリが生存している。

カタツムリは、一般的にはナメクジと似たり寄ったりの癖に

殻があることで、かわいいものとして存在している。

しかしカタツムリと共生している私としましては、

何が嫌かといって、知らずにカタツムリをガシャっと踏むことほど

嫌なものは無い。

踏んだぐらいで簡単に割れるなんて、何のために殻を背負っているのか。

強度不足も良いところであるし、不謹慎かもしれないが、まるで地雷なのだ。


芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタだって

蜘蛛を踏まなかったおかげで、お釈迦様に糸をたれてもらったのだ。

だからガシャっとやるとものすごく後味が悪い。

地獄にいって、殻の壊れたカタツムリだらけの池に入れられたりしたら、

もう死んだほうがましだ。


もしかして食ったらうまいのかな。






旅先の物産店にて

どう見ても地場産のコーナーにおいてあった。

地元産と大きく書いてある乾燥ひじきの隣の乾燥ワカメの話。

結構大きな袋で何も書いてなくて無印良品のようなパッケージ。

買うつもりで一応お店の人に「これは地元のものですか」と尋ねた。

「ええ地元で取れますよ。」という答え。ん。と思って、

よーく裏を見たら、さっきは気が付かなかったが、小さく中国産と書いてあった。

それを店の人に言うと。無言。

せっかく来たのだから他のものを買おうと思ったのだが、

結局何も買わなかった。

こちらの勘違いと言ってしまえばそれまでだが、

なんだかだまされた気分なのだよ。

勘違いを誘うなんて、チョット意地悪でないか。

もっと喜ばれる商売が出来ないのかといいたくなる。

旅の最後の楽しみなわけだからね。

そう言えば、今日とある大手メーカーから電話があった。

屋根の葺き替えの営業、断ると壁の張替え、

築年数を聞かれたので50年と答えると、耐震もやります。

とのこと、詳しく教えてくれようとするので、

こちらの職業を答えると切れた。

おーい、何だよ、騙すつもりだったのか。

こっちはすごく誠実に答えてたじゃないか。

まあ、そんなことだから、こちらは貧乏街道まっしぐらなのかも。



誰も信じてはいけないというのは正しいと思う。

信じないと何も始まらないというのも正しいと思う。

ややこしいな。これは宿題とする。










家のすぐ裏でがけ崩れ防止工事があった。

木を全部切ってコンクリートで固める工事。

なかには、樹齢100以上の大木もある。

少なくとも100年以上の大木が何本もあるのだから

工事が必要だったかというと、疑問が残る。

正しい目標が導き出す行動が正しいとは限らない。

多角的にみてバランスの良い解答を導き出すことが必要と思う。


こちらは、当事者ではないので、事前に計画内容はわからなかった。

切り口から、大量の水が滝のように滴っている木がある。

吸い上げた水の行き場がないのだ。

木を切ることがいけないとは思わない。

でももっと良い解決方法があったとおもうよ。

一応コンクリートの隙間には、

種を混ぜた人口土を吹き付けるとのこと。

緑の質はなぜかいつも議論されない。


木は全部チップにしてしまうとのこと、せめて何かに使えないかということで、

もらうことにした。大木も、運ぶために2、30センチ幅に切ってしまっている。

とりあえず、家の前に置いてみた。


つまにうさぎさんの椅子みたいだといわれた。

絵本で「どうぞの椅子」という話があるらしい。

そっちは、ちゃんとシッポがついてるそうだ。

メルヘンの世界ではいつも夢いっぱいだね。

こっちは現実の世界でがんばらなくてはね。

その友人とは、
学生時代よく旅に行った。
千葉に幻の滝を探しにとか。結局幻の滝は見つからず。

で、福島の阿武隈川にカヌーを背負って川下りに行ったときの話。

橋の下でテントを張って寝ていると,
大雨が降ってきた。
どんどん水嵩があがってきて、
一晩で3段ある堤防の一番上までテントを引き上げることとなった。

そこで3日ぐらい足止めを食らった。

その間、地元の人が、川の様子を視にくる。
もう大丈夫ではないかと思い、
聞くと、上流のどこそこで雨が降ったから、2時間後に
増水するなどと言う、果たしてその通り水が来る。

この辺の人たちは、そういうことを体で知っている。
まさに「万巻の書より・・・」だとおもう。(アンリギヨメ参照)

一歩間違えば、あほな大学生二人無謀阿武隈川でアブクと消える。
だったと思う。
水が減ってからとはいえ、その後も結構大変だったと思う。
生きてて良かったとつくづく思う。

ところで最近、冒険家が絶対生きて帰らなくてはならないという
コメントをよく聞くけど、ほんとにそうなのか僕は怪しいと思う。

だって死んでもいいやなんていったら、行かせてもらえないものね。










えーとこれはとある
微生物の観察日記です。
水に入れてから2日目です。
まだあまり活動していません。
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